高田別院だより 2006年3月15日 第12号
ただひかりばかりの夢
第十一組 一念寺 松野 純孝
釈尼恵信(恵信尼公)御影 (本願寺国府別院蔵)
この御影は 「釈尼恵信御影」 という。昭和32年板倉町(現 板倉区)において石塔が発見され、恵信尼公がお手紙(消息)の中で建立を願われた五輪の塔であるとされたことから、昭和38年親鸞聖人御遠忌法要・恵信尼公法要厳修に併せ本山(西本願寺)より下附された御影である。

  建保二年(一二一四)、親鷲一家は越後をあとにして、常陸(茨城県)へ移住の途次、常陸下妻の坂井の郷で、恵信は二体の仏の夢をみた。一体は仏の顔ではなく、まさしきお姿は見えず、ただ光ばかりであった。いま一体はまさしく仏の顔であった。恵信はこのただ光ばかりの夢を親鷲に話すと、「これこそ正夢である。法然上人のことはあちこちで勢至(せいし)菩薩の化身と夢でみた人が多くある上に、勢至菩薩は限りない智慧の菩薩で、しかも、光でおいでになる」と。私はこの形や色もないただひかりばかりの夢に驚嘆した。普通なら、形、色が必ずといっていいほどあるのに、恵信のこんなただ光ばかりの夢を見た人が他にいるのだろうかと。

板倉にある恵信尼公が御消息の中で建立を願われたといわれている五輪の塔(国府別院飛び地境内)
  幸いに親鷲は法然に関する人びとの夢を集録している。十六話あるが、勢至菩薩の化現と告知された話は一つしかない。他に三井寺の長吏(ちようり)、公胤(こういん)僧正の夢でも同じく告知にすぎない。ただひかりばかりの夢は一向に見当たらない。あとの十五話では奇瑞の紫雲とか五色、往生等で、なかには、金色の光のみ天地に充ち満ちてとかあり、それが上人往生の相とする夢も見える。けれども、ただひかりばかりの仏という夢はない。『名義進行集』(みょうぎしんぎょうしゅう)に東大寺三論宗(さんろんしゅう)の学僧敏覚法印(びんかくほういん)が一堂を建立し、西の壁に等身の光ほとけを図し、左右に木像の観音勢至をたててヒカリ堂と号したともある。

  いずれにしても、ただひかりばかりの仏の夢をみたのは、恵信一人ではないのか。
  親鷲は、真の仏は形も色もない、ただ光ばかりの不可思議光如来・尽十方無碍光如来であり、真の仏土とは限りない光明土(こうみょうど)であるという。恵信はまた、極楽へ参れば何事も暗からず、明るいと断言している。恵信は真の仏と真の仏土を単に頭だけではなく、からだで感じとっていた。恵信の『音読無量寿経』(断簡)には、『浄土和讃』や『教行証』化身土巻所引の大経一文が見える。恵信は親鸞門弟の代表格、真仏、性信、顕智と同じくあの難解な『教行証』を暗誦していた。この夢は恵信のまだ三十三歳のもの。すごいの一言につきる。法然についての夢の筆頭格というべきか。 
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