高田別院だより 2009年3月15日 第18号
親鸞聖人ゆかりの地・親不知
第二組 法圓寺門徒 中村栄美子

  親鸞が承元一年・念仏弾圧によって、越後に流罪となったのは三十五歳の時でした。 京の都から越後へと送られた親鸞は、北陸街道を歩き、能生木浦から船に乗って居多ケ浜へ上陸したといわれています。 越後へと向かう道中、親鸞は数々の逸話を残しながら旅を続けました。 そんな逸話が親不知の"大雲寺"に語り継がれています。


  「立ちすくみ如来」(『糸魚川民話の旅』)

 昔、昔のこと。
 越後へ流されることになった親鸞は二人の弟子と、天下の難所、親不知にさしかかったのは三月のことだった。 その日は冷たい風が吹き、大波が押し寄せて、荒れる海に親鸞は呆然と立ち尽くしていたそうな。 この時、みのを着で笠をかぶった一人の漁師が突然現れ、親鸞に近づいて、「お坊様、シケでお困りの様子。私は立ちすくみと申す者、背負ってさしあげましょう」 といって背中を出し、親鸞と二人の弟子を安全な所まで届けるとすうっ″と煙のように消えてしまったとさ。 それから親鸞は外波村の神主、大文字屋右近の戸をたたいて「旅の僧ですが、一晩泊めて下さらんか」 と頼むと、家の中から、「せっかくですが、お断りします」 とすげなくいわれたとさ。親鸞は野宿の覚悟を決め、軒下の石を枕に横になったが、風が冷たく体が冷えきって寝つかれんでおった。

 家の中では右近夫婦が、昼間、浜辺で旅の僧を背負って親不知の難所を渡った漁師の話をしておったとさ。 右近がなにげなく仏壇をみると、妻の佐野が信仰している如来様の腰から下がぬれ、足に砂がついて後ろ向きになっておられたとさ。
「もしや、旅の僧を背負って、あの難所を渡ったのは、この如来様だったのでは…」 右近は慌てて外へ出、石を枕にして横になっていた親鸞と弟子に「申し訳ないことを…」と謝り、家の中に招き入れたとさ。 そして夫婦は親鸞のありがたい教えに感服して弟子となり、如来様を本尊として「大雲寺」を開いたそうな。

 この如来様は立ちすくみ如来″といわれ大雲寺の本尊として大切にまつられているそうな。 
 親不知・外彼の大雲寺に伝わるお話です。
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